「旅」と「観光旅行」の違い
【26-27日目】 ギリシャ→イタリア
アテネ→ローマ(バチカン)→べネチアと、駆け抜けるようにして通り過ぎた。
アテネでは韓国人青年と別れ一人になったが、イタリアへ向かう船の中で一人旅の日本人女性と知り合い、ローマではまた別の日本人旅行者に誘われ、三人で観光することに。
今回の「旅」は自分の中では「冒険」だったので、観光名所を見てまわるような、いかにも「観光旅行」的なことをするつもりはなかったが、たまにはこんなのもいいかもしれない。
「真実の口」や「トレビの泉」など一人だったら絶対に行かなかっただろう。
謂れもよく知らずに真実の口に手を突っ込んでみたり、後ろ向きで泉にコインを投げ入れたり・・・
でも、それはそれで楽しかった。
ローマはどこもかしこも歴史を感じさせる荘厳な建物ばかりで、有名無名を問わず街全体が芸術作品のようだ。
小さな子どもたちの集団が寄ってきて、新聞紙を押し付けながらを何やら話しかけてくる。
・・・と思ったら、広げた新聞紙を目隠しにして、その下から別の手が伸び、私のズボンのポケットをまさぐる。
すぐに気付いたので何も持ってないぞと示してやると、笑いながら逃げていった幼いスリ集団。
バチカン市国という世界一小さな独立国がローマ市内にある。
国境ははっきりせず、知らないうちに入国していた。
大聖堂の聖母マリア像には、なぜか心を打たれた。
▼ 余談
「旅に精神性を求めるのは日本人だけだ」
と、どこかで誰かに聞いたことがあります。
確かに、欧米人などは純粋に旅を“エンジョイ”しているように見えますが、一人旅の日本人旅行者には“修行僧”のような雰囲気があります。
日本人旅行者の中には、「旅行(りょこう)」じゃなくて「旅(たび)」なんだよ!と細かい違いにこだわる人もいます。
かくいう私自身、これは「旅」なのであって、単なる「観光」とは違うんだ!という妙な信念がありました(笑)。
けれども、ある時ふと気づいたんです。
現地の人たちから見れば、金持ちツアー客も貧乏旅行者もまったく同じ外国人観光客なのだという当たり前の事実に。
いくら貧乏旅行だと言い張っても、優雅に海外旅行している時点で本当の意味で貧乏なわけではない。
現地の最貧民レベルの貧乏旅行をしているつもりでも、その気になればいつでもお腹いっぱい食べられるし、いつでも日本に帰れるのだから、現地の本当の貧しさとは次元が違う。
現地で働いて生活するのでない以上、「旅」も「観光旅行」も本質的にはなんら変わりがないということ。
・・・以来、私は妙なこだわりは捨てて、単なる「観光旅行」として「旅」をするようになりました。
2005年10月15日 12:18
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